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2017/01/31

再生される日々

方動くよ。aiwa懐かしい


寝ぼけ眼でスマホのタイマーをセットして二度寝というものをよくする。先日もまたそれをしていた。
ふと目を覚まし「あれ…まだタイマー鳴ってない?どれくらい経った?」と手もとのスマホを覗くと、なぜか録音中。
どうやら時計アプリでタイマーをセットしたつもりが、ボイスメモアプリを起動して録音ボタンを押していたらしい。
私は「ろッ!くおん(録音)、して、どうする…!」とけっこうでかい声で自分にツッコミをいれながら録音を止めた。というか、「ろっ」と発声した自分の声が意外とデカくて驚いて起きたみたいな感じ。

そんな事があったので現在ボイスメモアプリの最新の録音ファイルはというと、20分ほどの沈黙(寝てたからね)ののち、「ろッ!くおん(録音)して、どうする…!」というなかばシャウトが入って終わるというとってもよくわからないやつだ。

ろくおん、じゃなくて、ロックオン、と明確に言っている。なぜ「っ」入れちゃったのか。
で、結構なシャウト。それまでの数分は衣擦れくらいしか入っていないから爆発力がすごい。
これが真のオートマチスムだなあ。こういうの好きなんだよなあ、しみじみ。
と思って午後仕事しながらその音楽…?というかなんというか…まあ、音。?を、聞いていた。

これを聞いているとき私はその時間を追体験しているわけだけれど、それを聞いている私の時間は同じではない。
たまに思うのですよ、例えばある日曜日、一日中ビデオを撮るとするじゃない?
月曜日、それを一日中かけて見るとしたら、月曜日はどこに行くのか?「日曜日を追体験している月曜日」だけど、日曜日の事が大半。
月曜日の記憶は…でも月曜日だけの何かもきっとある。天気とか。ご飯の味とか。同じ景色を見ながら思う事も変わる。
それをずっと続けていたらどうなるんだろう?
日曜日以外の出来事が際立っていき、日曜日は生理現象として扱うようになるのかしら。
(ま、やらないけれどね…。)

このように録音したものを繰り返して聞いている時、がわかりやすいけれど、昔の事を思い出しているような時も、今の時間はなんなんだろう?今流れている音はどこへいくのだろう?と思う。
思い出に浸るということってなんだか現実から目をそらした愚行っぽく言われがちですけど、面白くって何度も読んじゃう本とか映画とか、もっと言うとお気に入りのお店とか好きなおかずとかとも一緒じゃね?と少なくとも自分の中では似たようなカテゴリ。
一回ヤればおk派とそうでもない派の間には深くて長い川が流れてるから、わかりあえないんだろうなあ。何の話だ。

中学生の時通学に1時間かかっていたので、その前の晩に録音した深夜ラジオを聞きながら通っていた。120分テープである。
順等に聞いていれば、登下校で昨日の分が全部聞ける…はずなんだけど、そうもいかない。他に聴きたいCD(…を、ダビングしたテープですけどな!)なんかもあるし。途中で友達と会ったら喋りたいから音止めちゃうし。そうこうしているうちに、聞いていない録音が溜まり、際限なくテープを増やすわけにもいかないから、聞いていないのに消すしかなかったり、もはや録ることをやめたり…しているうち、あのラジオフリークぶりはどこへ…?てくらいに憑き物が落ちたよにラジオへの興味が消えた。

何の話かというと、その頃から、今は月曜日のラジオを聞いているけどもう水曜だよ…でも耳に流れる時間は間違いなく月曜だけど、ここは間違いなく水曜でもある…とか悶々と思ってましたね。

今日はどこへいくのだろう。







2016/10/29

芝居の台本(脚本)はgitで管理したら良いのでは?と思う7つの理由

台本って初稿からどんどん変わりますよね。
その場でペンで書き込んでいくのはもちろんですが、大幅な変更は大元から書き換えることも多いですよね。そんな時、過去の台本を保管していますか?

脚本家のみなさま。
  • 台本_1101ver.拡張子とかで都度保存していますか?編集中で日にまたがった時面倒じゃない?
  • 台本_1101ver.、台本_1103ver.、台本_1108ver.、台本_1115_最終ver.、台本_1117_最終_修正ver.…テナ感じにまぁほんのちょっとずつ違うファイルが膨大になったりしない?
  • 一旦初期の台本を削除してしまったあとでやっぱりここは稽古初期のセリフに戻そうか〜みたいなことない?
  • どこを変えてどこをまだ変えてないのか一目でわかりたくない?
  • 最終稿を調整してる最中にPCが壊れた!古いバージョンしかデータが残ってない!なんて悪夢じゃない?

その問題、全部gitでどうにかなる!

gitってなんじゃらほい

git(ギット)は、プログラムのソースコードなどの変更履歴を記録・追跡するための分散型バージョン管理システムである。
...wikipediaより

ざっくりいうとバージョン管理が出来るんです。
プログラム向けなので文章レベルのファイルと相性がいいです。
webサイトの管理にもすこぶるいいですね!
本業の業務でgitを使うようになってから人生変わったレベル。2016年の印象的な出会いのひとつにgit!エンジニアじゃなくてもgit使うべき!
gitの使い方は自分が書くより優れた資料が沢山あるので詳しくはググって下さい。もうgitのなかった頃には戻れないわ!ってなりますよ!


おすすめポイント1. 上書き保存で大丈夫。古いバージョンに戻したくなったらすぐ戻せる。


_最終 
_最終修正 
_最終修正cue追加ver.
_最終完全版 
_最終完全版16:00 
_最終完全版20:00fix
みたいな、どれが本当の最終だよ!な感じのちょっとずつ違う似たようなファイルを乱造する必要がなくなります。

おすすめポイント2. コメントが付けられる


コミット(ざっくり言うとセーブ点を作るみたいなこと)する際にコメントが付けられるのでどこを直したかあとから見られて便利!
例)・第2場セリフ全修正・第3場花子のセリフまで修正
  ・音響FIX
  ・第2場太郎のセリフは最初のやつに戻す
みたいな感じでどのセーブ点でどこが変わってるのかメモっておけます。

おすすめポイント3. オンラインに保存出来る〜しかも全てのバージョンが!


githubやbitbucket等のサービスに登録して使います。最新までの作業どころかこれまでのバージョンがそこにある、戻れる!
突然のPCトラブルも大丈夫。出先から更新も大丈夫。セブンのネットプリント等を駆使すれば、さっきまでカフェで作業していた最新の台本をプリントアウトして稽古にもってくるなんてなことも可能に!

おすすめポイント4. 変わった場所がハイライトされる!


githubやbitbucket上では、変更した箇所がハイライト表示され、before・afterを比較して見せてくれるので、どの行をどう直したのか一目瞭然の明快さ!

おすすめポイント5. 別々の人が一気に作業出来る!


大元の台本があったとしたら、第1場のセリフ修正はまだ途中だけどラストシーンの演出も大幅に変わる。照明を考えるのは別の担当者。みたいな同時進行作業の時に、別々の人が同じファイルを修正して最終的に修正点だけをマージするということが可能です。
これを「ブランチを切る」といいます。
もちろん、大元をのファイルをバージョン管理するだけでもめちゃ便利ですが、ブランチの概念を使いこなすとより便利に!

おすすめポイント6. いちファンとしても


自分が舞台に出演する以上、少なからず脚本のファンであるという側面があります。
ファン心として、全部のバージョン取っておきたい!しかし稽古中はそれどころじゃない!
間違って古いバージョン持ってったらその日の稽古の時間が無駄ですよね…
それに、コレクター魂みたいなものは往々にして一段落してから頭をもたげてくるもの。稽古中はそれどころじゃないので混乱を防ぐ為に捨ててしまったり。
後になって第一稿をもう一度読みたいなアと思った時にもgitなら古いバージョンが…ある!

おすすめポイント7. 文化の保存という意味合いでも


大作の前には習作があるもの。
劇団(一人の場合も)の貴重な歴史を残すという意味もあります。
ダヴィンチの素描だけで展覧会開けますからね。(引き合いに出すにはレベル違うだろって感じですが!)

もちろん、世界中のPCが突然一気に爆発したらデータは消え失せますね!
まあそんなことになったら先進国は当面文化を楽しむどころじゃない事態になるでしょうから考えなくてもいいでしょう。ホホホ!諸行無常

とにかく


gitおすすめです。
脚本に絞って書いたけど、小説書く人なんかもいいかもね。

2015/10/19

鳥手羽の呪い



大昔は油抜きダイエットなんぞをしてみたこともあったが、いい油なら積極的にとってもいいというところに落ち着き、今となってはむしろよく取ってる方かもしれません、油。メジャーどころで言うとEXオリーブオイルとかごま油とかね。

その流れで鶏の手羽を煮た場合の油もアリだな!となり、鶏手羽を煮てスープを作るのが日課となった。
日課というか週一だから週課?みたいな?まあとにかく、時間の空いてるときにごっそり鶏手羽と屑野菜とかを煮てスープを作ってそれを一週間もしくはそれ以上かけて、そのまま食べたり他の何かに使ったりしたりして、ちびちびと消費する毎日である。

青ネギを入れたときは全体的に中華を意識したものに、タマネギを入れたときは洋食っぽいものに親和性が高く応用できます。まあ自炊なんてノールールなんだから結局何にでも使えます。

で、本題。骨付き肉を煮ているからには、骨付き肉を食べるシーンが必ずある。
子供のとき、クリスマスとかなんやら、もしくは別にこれと言ったイベントもなくだが、母親による食卓に骨付きチキンが上がることはあった。
そしてそれをおいしく食べていると、母は必ず
「そんなに食べてると、明日トリになっちゃうよ!コケーッッッッッ(無駄にリアルなニワトリの真似、しかも上手い)」
と言ってきたのであった。
何時間も骨をしゃぶっているところに(そろそろやめようぜ、卑しいワヨ)みたいな感じで言ってくるならまだわかる。
こちとら普通に骨についてる肉をおいしく食べているだけなのに必ず言われる。そんな簡単にヒトがトリになるわけないだろ?ハイファイセットとっくに飛んでってってるわ!!と子供ながらに思ったものであった。突然のリアルなトリマネも本当にやめてほしかった。(想像してみてください、結構こわい)
かといって「トリにならないくらい」上澄みをかすめ取るだけみたいな食べ方だと、「まだまだお肉残ってるじゃない!もったいない!」と言われるのだ。どうして欲しいんだ、お前さんは。と幼心に思っていた。


しかし刷り込みとは恐ろしいもので、今でも骨付きの鶏肉を食べていて終盤にさしかかると、「あー、明日トリになっちゃうかな…?まさかね!」とか思ってしまうのだ。
「まさかね!」があるとはいえ、「トリになっちゃうかも?」という発想が浮かぶ時点で彼女の呪いは続いている、と思った。




2015/10/07

旅におもう


最近にわかに自分の中で温泉ブームが巻き起こり、というか偶然なんですけども、秋の連休(いわゆるシルバーウィークというやつ)の前半は山梨の温泉に、後半は温泉シティ別府に、先週は温泉じゃないけど東京ドームシティのラクーアに行った。要するに風呂が好きなんですね。これは前から。もっとざっくりいうと水が好きで、海や川に浸かると生命力がみなぎる、気がする。夏には沖縄に行って初離島シュノーケリングをして、それはそれは素晴らしかったです。

ちょっと逸れた。今回は水じゃなくて旅の話です。

そんな感じで突発的な旅行を重ねているのですが、そもそも私は割と旅行には否定的なのです。
いや、好きなんですがね。好きだからこその謎のこだわりというか、旅、全肯定!旅をしなきゃダメだよ!みたいなことを言う人が許せんのだ。インドに行ったことない人は人生損してるとか言われると(本当にいるんだぜ、こういうこと言う人)はーん???パードゥン?てなりますね。へー、私損してんの?みたいなね。インドに限らんが、こういう過激派はなぜかインド(美大調べ)。

あとタイムイズマネー、という言葉は私だってしくしく感じるが、かといってタイムイズマネーおばけみたいな意見も嫌いでしてね。旅行のように時間が限定されているシーンではおばけがことさらに主張してきてうんざりさせられる、ことがある。飛行機で行くのが早いのはわかってるが、鈍行で行くのもまた旅じゃろう。それを理解できないとはいとあはれ…(まあ、私も飛行機で行けるんなら飛行機のりますけど!それは飛行機が好きだから!)タイムイズマネーおばけに会うといつだってミヒャエルエンデのモモのあとがきを思う。読んだことない人は読んでください。


もうね、生きてるだけで旅なんだよ!って芭蕉さんも言ってただろ?「旅行」も「毎日」も一緒なんだよ。
だから旅行とか特別視すんのやめようぜ!私はもうやーめた!って思うんだけど、まあ、でも、いいですよね、旅行。好きなんですよ、本当は。

でもやっぱり日常、生活と地続き、というか、本当の本当の本当のところは何も変わらないとは思っている。日常に発見があるのと一緒である。だから旅行が好きっていうかみんな好き!わかったか!


友人の友人の話ですが、まあその人は某発展途上国に旅行に行って一ヶ月ほど生活してたおり、洗濯機などないので毎日洗濯板で手洗い洗濯をしていたそうだ。そしたら腕に筋肉がついて、なんとなく健康になったそうだ。それって日常、生活ですよね。そういう話がすっごく好き。すっごく地続き感じる。



2015/08/29

シュレーディンガーの冷やし中華



本日、冷やし中華始めました。遅い、遅すぎる。いや、来夏の先取りととらえるとむしろ早すぎるとも言えるのか。そもそも冷やし中華はいつ始まりいつ終わるのか?というか始まったり終わったりするものなのか?始めさえしなければ終わらないのだから、冷やし中華そのものが存在するのかしないのかすらもはや定かではないのではないか?(シュレーディンガーの冷やし中華)


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↑これは2013年12月にfacebookに載せた内容です。原文ママ



今なおごもっとも!当時の私ごもっとも!と思う内容である。




8月なのに秋模様。夏が終わりそう。

でも、そもそも夏、始まってた?いや、始まってたかもしれないけど、お前(自分ね)は始めてた?そもそもね。

どうなの?始めてた?むしろ去年の夏終わってんの?どうなの?なんなの?そもそも無いんだよ、みんな!すべてな!

始めさえしなければ終わることも無い。始めなければいいのか?わかってるけど、始めたい。どうすればいいの!

すべてはまぼろし。

2014/10/17

背面にある自由

photo by.Glowhair,2010

鏡に映った自分の顔に向かって「お前は誰だ!」と言い続けたら確かにゲシュ崩タル解トしちゃうかもしれませんが、鏡に映った背中に向かって「お前は誰だ!」とは、言えない…。まあ、言うだけなら言えるけど、厳密には、背面に向かっては言えないのよ。だって言うのは正面にある口だしね。
この、背面の文字通り背面なところ…いいよネ!
切り離せないくせによそ事なところ、すばらしいネ!と思いますね。


背面を撮られたとしても、普段自分で見られないから無駄な自己イメージが無い分、さらけ出された写真と自己イメージのギャップに苦しむ必要がないところがいい。
顔だと、「アングルのせいで二重あごに!」とか、「この照明にこのメイクは気持ち悪く見えるウワア…」とか、逆に「これはすごいよく写ってるな〜!」というブツでも「これを他人に見られたら写真詐欺だと思われそうだな…実物見てガッカリされるよりはちょっとイマイチな写りの方がいいかも…でも会った事無い人はそのイマイチな姿を目に焼き付けてしまうのかい?とはいえあまりにも実物より綺麗な写真を上げても(略)…」とかね、余計なこと考えてしまうんですよね。

その点背中は、確実に自分のものである筈なのに、見慣れてない分フワッと客体として扱えるというか…最悪、私の背中じゃないかもしれませんよ?としらばっくれちゃえる自由さすらあるというか…そう、そういうところがイイ!背面いいね!自由がここにある…!と思えます。


追いかけても永遠に届かないんですが(だって後ろにあるんだし)、でも実はここ(背面)にあるんですよね…そう、青い鳥、ここにいた…。みたいなね。どこにフリー…?ここにフリー…!みたいなね!フッフー ever free だね!

おしまい


photo by.yuki kurisu,2013



♥おしらせ♥
舞台「蔵の中」来週です!
よろしくお願いします〜



2014/09/21

”罪”のダンスについて

遅くなりましたが、6月のダークキャッスルでの演目について。

ミルトンの失楽園をベースにしたお話の中の、”罪”を表現した踊りを作りました。

楽曲は一番好きなアーティストMeretさんの「Prise De Tête」(訳:泥酔)という曲を使い…私にとっての罪て何があるかと考えたら、その中の一つに泥酔があるかなと思って(笑えない…♥)あとは自分が昔から好きだった曲で踊りたいというわがままもありつつ…




撮影:はっしん

「気持ち悪いよ!」「悪玉菌」「悪い夢にでてくるやつ」とか言われつつも、(気味悪い感じを表現したかったんでいいんですけどね…)「ビアズリーの絵画から飛び出して来たかのよう…」という嬉しいお言葉も!
ゴロゴロしたのは、内臓を表現しています。
オブジェとしても、成り立ちます。


もうほぼ10年前の初舞台の話です。対の役をやるということで仲良くなったダンサーの友人は、「ダンスの決め手は色々あるけど、最終的には顔だよ!顔で表現するのよ!」「ダンサーならぬ”顔(ガン)サー”」と自称していました。彼女の言葉は刷り込みのよに心の奥底に残っています。…だからといってはなんですが、顔というか、まあ肉体すべてを顔のように使えたらいいな〜と思っています。そしてその”顔”の範囲を増やしていこう…という思いが、衣装作りや振り付けに至りました。

観て下さった方、ありがとうございました!


2013/10/22

タイトル愛

私は作品にタイトルをつけることがもはや作品作りの醍醐味であるような考え方を持っていて、もっと極端に言ってしまうならタイトルだけ延々とつけていたいくらい。
ただし中身が伴わないタイトルは、""というよりはただの"言葉"でしかないので、もちろんコンテンツも大切だけどね。

最初にタイトルをつけて、全部終わったら最後にまたつけ直したりしたい。
改題して旧題をカッコの中に記してみる往生際の悪さも馬鹿馬鹿しくて愛すべき味わい。
仮題が意外とかわいくってこっそりいつまでもそれで呼んでみたりするのも幼い頃作った秘密基地のような感覚で素敵でしょう。
そんな魅力的なタイトルをつける行為に敢えて真剣に向き合わないで、わざとどうでもいいようなものをつけるアンビバレントもわかりますし、
最初はタイトルがあったのに最終的に無題にしてしまうという行為にも憧れます。それはそれはなんという退廃の美!


中でも私が特に焦がれる至高は最後に全部壊してタイトルだけを残す、というもの。
空の額縁を飾るようなロマンね…!もっと最終的には、その額縁すらも捨ててしまうか、朽ちていき忘れ去られていいんです。
「かつてそこにあった」なら、それでいいの。

でも以前、劇団主宰者とダンサーと私でいる時タイトルについての話題になったら、ダンサーはなんとまあ基本的にタイトルどうでもいい・必要ならナンバリングすればいい派らしいし、劇団主宰者はタイトルは大事だよね!と言ってくれたけど私のように興奮を覚えるほどではないみたい。う~~~ん、残念。


まあ私だって、タイトルを愛しているというよりはそのまわりの実体の無い空を愛しているのです。


2012/12/30

突然ボディピアスのこと

今朝起きたら、すごい久しぶりにBM(BodyModefiacation)欲を刺激するようなアイデアが湧いてきました。
腰後ろかネイプに、クモの目の配置でマイクロダーマルを埋めるとかどうよ…。
ああ!素敵!!
下列右から2番目か左端がいいかなぁ…

…まぁ、やらないですけどw

(でも着脱出来る装身具で、このエッセンスを活かしたアクセサリでも作ろうかな〜と思います。)

ところで、私がボディピアスに大いなる魅力と興味を覚えていた頃(ちょうど10年前くらい…)はまだマイクロダーマルとかなかったような…!
厳密にはあったのでしょうが、実際のスタジオ施術などではまだまだサーフィス系はちょっと曲げたストレートバーベルで、が主流な感じでした。

最初に左ルーク(※)をあけたのを皮切りに、左インダストリアル、タンウェブ、右ルーク、左ルーク2つ目、センタータンに一つあけ、二つあけ、三つあけ…を20になる前までくらいの間にぐいぐいやったんですが、ある日脳のCTスキャンをやらなきゃいけなくなって全てのピアスを外すタイミングがあり、それから憑き物が落ちたかのように新たに空けるどころか既存の穴にピアスを入れることすらやめてしまい、今は一番最初に空けた左ルークのみ入れてます。

まあなんだかんだとピアス入れてなくても穴自体は(完全じゃないけど)保たれていて、三連の舌ピアス穴などは細い三つ足フォークを入れて串刺しごっこなんかも未だに馴らせばできたり。
でも常に入れていなくては心が落ち着かない、という感じではないんだなあ…

今は”せずにいられない”渦中の人ではなくなってしまったのでなんか違うかもしれませんが、空けたくてしょうがないというよりは埋めたくてしょうがないというか…埋めるために空けるというかなんというか、空け・そして埋めることによってやっとフラットになる…自分を取り戻すための行為、みたいな感じなんですよね。
やってることは戻ってないというかむしろ逆なんですけどね…でもわかりやすい穴があるということや自分で穴を作って埋めることに何かしらの救いがね、あるんですよ。

私もいつかは、今のところ保ってるあと一つの穴も、もうどうでもよくなって入れるのやめちゃう日が来るんでしょうかねぇ…。なんてね〜


(※)ルークなのかロックなのか(rookと書く)ほんとはロックの方が正しい?とか聞くけどなじみ深いのがルーク読みなのよね

ルークとインダストリアルというのはこういう感じ。

2012/10/16

モントザハト御礼&男装のお話

モントザハトカフェ パンタレイ、今回も無事終了しました。
沢山のご来場ありがとうございました!

長田ノオトさんと村上ナッツさんをゲストに迎え、長田さんの漫画作品を朗読いたしました。ラインナップは【アンジェロ・ムジカンテ】、【改造の転移】、【モントザハト】の3つです。
私は【改造の転移】の弁士役及び、【モントザハト】をソロで朗読しました。


【アンジェロ・ムジカンテ】はただいま電子書籍として連載中の作品!ローサちゃんもユーガくんもはまり役でしたね!
【改造の転移】はまゆらちゃんの「おにいちゃま」に萌え!モッサンのマッドな医者役も似合っていましたね。効果音には私物のメロディマシンおもちゃ?を使いました。


そして【モントザハト】。グループ名の元ネタ作品、しかもBL(と一言でいうのも乱暴ですが…)、しかもソロ。原作者ナッツさん、漫画作者長田さん、以前朗読したことがあるという常川さん、という錚々たる面子を前に緊張しつつも、BL装置(?)も故障する事なく、終了出来てよかった!文をまとめてくれたろうさちゃんにも、本当に感謝!!!

朗読のバックに使用した曲は、最初のシーン、夜のシーン、エピローグにAtrium Carceri、夏のシーンだけWorm Is Green。冒頭のドラマチックなやつはDie Formのアクマ2の最初のところです。
アクマ2の最初のところは何かの冒頭にかけたいなーっとずっと思ってたので、この作品に使用する事が出来てよかったな
 Die Form : Akt


今回初めての方々とお話しする事もでき、とても嬉しかったです!
よろしかったらまた遊びにきて下さい〜



あと、男装(?といっても半端だけどネ)がとても好評で、嬉しかったです!ありがとうございます!笑

思春期にですね、女じみていく自分が嫌でしょうがなくて中性的なるものを目指したり…したりもしていましたね。というか、本心は今でもずっとそうなんですよ!
まあ、フェミニンな格好もしますし、それも決して嫌いじゃないんですけど、それはある種の女装なんですよ。本当は何もないはずなのにねえ…。
ナマのままじゃ女だから男装するくらいで初めてゼロ地点なんじゃねえのみたいなことはずっと思っていますね。男装、と一言でいうと服とか振る舞いの話になってしまうんですが、本当は精神面での自分の立ち位置みたいな話です。そんなルーツをかんがえさせられたり…もしましたね。(なんのこっちゃ)

映像作家の寺嶋さんが撮って下さいました。いつもありがとうございます〜
右後ろ(いすの上の壁)にあるのが件のBL装置ですよ!カレンダーふう紙芝居。

2012/04/16

インナー生徒のアイドル観


最近SPEEDが好きです。
いや私SPEEDの皆さんよりほんのり年下という、全盛期直撃世代なんですけど、当時は全く興味ありませんでした。
仲良くしている友達のほぼ全員がSPEED大好き!という状況でしたがちょっとヒネた子どもだったので、ケッ…意味深な歌詞歌いやがってよぉ…ジャリンコのくせに…(※自分の方が年下のくせに)と思っていました。洋楽聴き始めてJPOPはあんまり(笑)みたいなリアル中二病でもありました。


が、先日ヒョンなことから復活したSPEEDが以前の曲を新録で出したアルバムを聴きました。

そう、コレですね! SPEEDLANDね。

→あれ…?いいじゃん!
→最近のライブ映像見る→イイネ!
→ていうか懐かしいなぁ!→当時のPV見る
→いや~クオリティ高いわ!すごいわ!若いのに!
→実は私が意地張ってただけで当時も別に嫌いだったわけじゃないんじゃないの~…?
…みたいな気分にさせられました。

う~ん実は当時もそんなに嫌いじゃ無かったんじゃ疑惑に関しては根が深そうなのでおいておきますが、そんなこんなでここ1週間くらいSPEEDばかり聴いています。
基本的に歌って踊れるグループや人は好きです。
Perfumeも好きですし。

…まあ、ざっくり言えば女の子アイドルが好きなんですね。
だがしかし!AKB系にはなぜか惹かれない。可愛い女の子大量にいるというのに、なぜだろか。


その理由を自分なりに考えたんですけど、きっと私の心の中にはいまだに中高生の頃の自分が生きてているんですね…言うなればインナーチャイルドならぬインナー生徒(スチューデント)というところでしょうか。
その生徒は女の子アイドルの中に「自分がなり得なかった当時の自分」を求めているんですよ。校則やら制服やら、いつまでも続くように感じた授業や毎日から抜けだしたい!という気持ちですよ。それが保護者や制度や色んなものから守られているからこそある、というのも全く気が付いていないわけではないけど、それでもやっぱり駆け出したいの!ジレンマなの!という青いパッション…!を私はアイドルに求めたいのね。

だから当時のSPEEDの曲にちりばめられた「ここから抜け出したい」という気持ちにこそ非常に憧れを覚えるし、
ももクロを好きなのも彼女たちが「制服脱ぎ捨て華麗に変身」(from 行くぜっ!怪盗少女 )するからかもしれない…と。


で、AKBはどうして好きじゃないのかというと、もはや女子高生ではない人たち(そうでもないメンバーもいるけど)が制服を着ていたり、進んで(楽しんで)制服を着ているようなきらいがある…。つまり、”制服脱ぎ捨て感”をアイドルに求める自分にとって、制服の持つ力をいつまでも利用せんとするところにアイドルとしての魅力を感じられないのかな…と思ったのでした。

女子高生でないのに女子高生の制服着ること自体は悪いとは言わないけど、それをカードとして振りかざすのはちょっと限度があるだろうと…。なんかイコール若い世代万歳みたいな、ネオテニー礼讃に繋がっているのではないか?という気持ち悪さを覚えてしまいます。
いや、若さが素晴らしいことはわかっていますけど、それに執着しすぎるのもあんまりナァ…ということです。

そしてAKBそのものにアイドルとしての魅力を感じないだけであって、グループそのものが嫌いとかでは別にないんですけど…
ま、あくまで若いアイドルには制服脱ぎ捨ててほしい、という、インナースチューデント飼い主からの一意見です。


あーもう長すぎるぜ!おしまい。

2012/02/28

直毛と精神

ストレートヘアだと思っていた人が縮毛矯正かけてると知って軽くショックを受けたんだけど、よく考えてみよう、何がショックなんだ?…と…。
逆の場合(くせ毛だと思ってた人がパーマかけてた場合)はさほどショックでも無いんだ。
無意識下に直毛信仰があるんだろか?それはそれで嫌だなぁ…

何が嫌かと言うとハナシは私が中高生の頃に遡ります。

私の中学及び高校は校則はそんなに厳しくないところだったんですが、頭髪に関して一応「染髪及びパーマネント禁止」の記述がありましてね。
でも「縮毛矯正禁止」という項目は無いんですよ。
そ!こ!に!違和感!
私は直毛だったのでパーマかけたいわけですよ。変わりたいんですよ!それは許されないのに、くせ毛の人がまっすぐにするのはいいんだ?なんなの?まっすぐならいいの?まっすぐを曲げるのは駄目なくせに曲がってるのがまっすぐになるのはいいって言うの?まっすぐに生きていろって暗に言いたいわけ?みたいな気持ちにね、なっちゃったわけですよ!

今思えば完全に屁理屈ですけど。

まあ、ありのままの髪質でいろ、とかもなんかおかしいし、どんな校則でも文句は言ってたと思いますけどね~。なんだかんだ言って茶髪やパーマも黙認だったし、結構好き勝手にやってしまいましたしね…。



ま、反れたので最初の話に戻るんですけど、もとがまっすぐであることに無意識に価値を見出してしまっているのか自分は?それは「嫌だなぁ…」という発言であったということです。

かといって『もとがまっすぐじゃなくてもいいじゃん?』転じて、『ありのままで生きればいいじゃん?』みたいなことを言いたいのでは決してなくて、まっすぐだとかうねりだとか気にするのも嫌なんですよ、本当は!
本当はどこにもないんですよ頭髪なんて!と言いたいんですけど…、実際そこに頭髪はあるから…。葛藤は続く…。

2012/02/21

罫線なしの世界

唐突にフラフープを狂ったようにマワしたい気分になった夜明け前。

でもフラフープってさァ~フラフープとしてしか使用法が無いじゃないですか。
そういう一つのことしかできないブツを増やすのはナア…て思ってしまうのね。
貧乏性だから2WAY、3WAY、十徳ナイフ等の言葉に弱いというのもありますが、フラフープをフラフープとしてしか使えない時、フラフープに支配されているよな気がしてしまう…私がフラフープを所有しているようでいて、実はね。
別にフラフープとして使わなくても構わない、でも私の意思であえてこの輪っかをフラフープとして使うんだぜ!今だけな!という自由が欲しいんですね。

罫線あるノートじゃなくて白紙を求める気持ちですよ。

まあこんなにフラフープのこと考えちゃってる時点でもはやすでにフラフープに支配されていると言っても過言ではありませんね。




アマゾンはなんでもあるなあ