寝ぼけ眼でスマホのタイマーをセットして二度寝というものをよくする。先日もまたそれをしていた。
ふと目を覚まし「あれ…まだタイマー鳴ってない?どれくらい経った?」と手もとのスマホを覗くと、なぜか録音中。
どうやら時計アプリでタイマーをセットしたつもりが、ボイスメモアプリを起動して録音ボタンを押していたらしい。
私は「ろッ!くおん(録音)、して、どうする…!」とけっこうでかい声で自分にツッコミをいれながら録音を止めた。というか、「ろっ」と発声した自分の声が意外とデカくて驚いて起きたみたいな感じ。
そんな事があったので現在ボイスメモアプリの最新の録音ファイルはというと、20分ほどの沈黙(寝てたからね)ののち、「ろッ!くおん(録音)して、どうする…!」というなかばシャウトが入って終わるというとってもよくわからないやつだ。
ろくおん、じゃなくて、ロックオン、と明確に言っている。なぜ「っ」入れちゃったのか。
で、結構なシャウト。それまでの数分は衣擦れくらいしか入っていないから爆発力がすごい。
これが真のオートマチスムだなあ。こういうの好きなんだよなあ、しみじみ。
と思って午後仕事しながらその音楽…?というかなんというか…まあ、音。?を、聞いていた。
これを聞いているとき私はその時間を追体験しているわけだけれど、それを聞いている私の時間は同じではない。
たまに思うのですよ、例えばある日曜日、一日中ビデオを撮るとするじゃない?
月曜日、それを一日中かけて見るとしたら、月曜日はどこに行くのか?「日曜日を追体験している月曜日」だけど、日曜日の事が大半。
月曜日の記憶は…でも月曜日だけの何かもきっとある。天気とか。ご飯の味とか。同じ景色を見ながら思う事も変わる。
それをずっと続けていたらどうなるんだろう?
日曜日以外の出来事が際立っていき、日曜日は生理現象として扱うようになるのかしら。
(ま、やらないけれどね…。)
このように録音したものを繰り返して聞いている時、がわかりやすいけれど、昔の事を思い出しているような時も、今の時間はなんなんだろう?今流れている音はどこへいくのだろう?と思う。
思い出に浸るということってなんだか現実から目をそらした愚行っぽく言われがちですけど、面白くって何度も読んじゃう本とか映画とか、もっと言うとお気に入りのお店とか好きなおかずとかとも一緒じゃね?と少なくとも自分の中では似たようなカテゴリ。
一回ヤればおk派とそうでもない派の間には深くて長い川が流れてるから、わかりあえないんだろうなあ。何の話だ。
中学生の時通学に1時間かかっていたので、その前の晩に録音した深夜ラジオを聞きながら通っていた。120分テープである。
順等に聞いていれば、登下校で昨日の分が全部聞ける…はずなんだけど、そうもいかない。他に聴きたいCD(…を、ダビングしたテープですけどな!)なんかもあるし。途中で友達と会ったら喋りたいから音止めちゃうし。そうこうしているうちに、聞いていない録音が溜まり、際限なくテープを増やすわけにもいかないから、聞いていないのに消すしかなかったり、もはや録ることをやめたり…しているうち、あのラジオフリークぶりはどこへ…?てくらいに憑き物が落ちたよにラジオへの興味が消えた。
何の話かというと、その頃から、今は月曜日のラジオを聞いているけどもう水曜だよ…でも耳に流れる時間は間違いなく月曜だけど、ここは間違いなく水曜でもある…とか悶々と思ってましたね。
今日はどこへいくのだろう。