ジェリクルキャッツを知っている。
ではなくて
ジェリクルキャッツは知っている。
というとネスカフェみたいだな。と猫がコーヒー飲んで踊ってるところまで想像してふふっかわいいな…とニヤニヤするところまでが自分の基本の思考スタンスなんですが、そこでただニヤニヤしてるだけではおかしな人なので宮本亜門のあたりからすり合わせが必要になってくる。他人と理解しあうというのはかくも難しい。(の?
好きなキャッツはカッサンドラ。曲はジェニエニドッツのテーマかな〜
本題はキャッツではない。昨日はじめて猫カフェに行ったものだから!
★★★
今度、70年代からある老舗の劇団の公演を観にいきます。
その劇団の情報はネット上にはほとんど無い。(もちろん知ってる人はちゃんと知ってるし、人気も強い)
そこがすごくいい。ネットの情報なんて一部にしか過ぎないのに、それを忘れちゃいけねえよ。という気持ちを後押し?なんていうのかしら?まあとにかくとってもグとくる、そういうところが。
ちょっと違う例だが、100〜200人くらいのパーティを、5年以上前からか?月一くらいで主催してるいわばパーリーピーポーな友人がいる。そのパーティは集客にネットを使ってないからパーティの情報は全然ネット上には無い!だからと言ってそのパーティが存在しないはずはなくて、実際私は行ったことも何度もある。
そんなパーリーしまくってどうすんのさ?と思うところもあるが、コンスタンスに人が集まるのもすごいし、ネットの情報なんて(以下略)という面では非常にグとくるし、興味深い存在である。
また、これは人から聞いた話ですが、かつて公演を出演者・関係者とゲストのみしか知らせず、公演があったことすら公言を許さないという劇団もあったという。いや、今もあるのか…それは関係者にならない限り永遠に知れないという。
もはやネットどころではない。最高だな!
別にネット上に情報があることが悪いことだとは言わないが、何でもかんでもネットの情報が全てみたいな姿勢は嫌なんですね。
とか言いつつネット上ですぐさま解決出来るのに活用しないというのもどうかと思…ていうのはソフトな言い方で、そういう姿勢も気にくわない。
まあ、要するに色々勝手に気にくわない、というだけですが。ワハハ
★★★
ホラカントゥス・シゾロシスの検索結果はゼロですけど、ホラカントゥス・シゾロシスが存在していたことは事実です。
しかしグーグル検索しかしていない限り、お前は永遠にたどり着けない。
ホラカントゥス・シゾロシスを知ってる人にいつか出会えることを夢見ています。
※ホラカントゥス・シゾロシスは私の造語ではありませんよ。しかし本当にネット上に情報が無いせいで、ここだけ見ると電波だな。笑
現代美術マニアとかで(最近のじゃなくて、美術史の分類でいうところのざっくり現代で)いるんじゃないかなあ、ホラカントゥス(略)ヒットしねえなあ〜て何年も思ってる人が。
と思って書きました。
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