子供の頃は玉ねぎを刻むと涙が出ていたものですが、成長するにつけいつしか出なくなっていました。
それを私は「大人になることによって玉ねぎの成分に打ち勝ったのだ!」と信じ、誇りに思ってさえいました。
しかし先日、寝起きそのままに玉ねぎをみじん切りする機会がありまして、そしたらもうね、涙が止まらないんですわ。
私、玉ねぎに勝ったんではなかったの?あの勝利のよろこびはまぼろし?なんだったの?テルミー!サンバディテルミー!と混乱したのですが…。
なんてことはない、大人に…というか中高生くらいからこっち、料理する際は必ず眼鏡かコンタクトをつけていたので玉ねぎの目に染みる成分がシャットアウトされて大丈夫だったという、ただそれだけの話。
そう、私は眼鏡かコンタクトという薄い皮膜にただただ守られていただけだったのです!玉ねぎはいつだってゼロ地点。すなわち丸腰であったのに、私はなんと自分を過信していたことよ。大いなる自然に完敗、乾杯…!勝ち負けなんぞのフィールドに一瞬でも彼らを引っ張ってきた自分のちっぽけさが、もはや清々しいくらいに胸を満たしていく…。
私、玉ねぎに勝ったんではなかったの?あの勝利のよろこびはまぼろし?なんだったの?テルミー!サンバディテルミー!と混乱したのですが…。
なんてことはない、大人に…というか中高生くらいからこっち、料理する際は必ず眼鏡かコンタクトをつけていたので玉ねぎの目に染みる成分がシャットアウトされて大丈夫だったという、ただそれだけの話。
そう、私は眼鏡かコンタクトという薄い皮膜にただただ守られていただけだったのです!玉ねぎはいつだってゼロ地点。すなわち丸腰であったのに、私はなんと自分を過信していたことよ。大いなる自然に完敗、乾杯…!勝ち負けなんぞのフィールドに一瞬でも彼らを引っ張ってきた自分のちっぽけさが、もはや清々しいくらいに胸を満たしていく…。
この、負けを認めるどころか勝負は始まってさえいなかった!と気づいた時、私自身も一皮くらいは剥けたと言ってもいいのかな、玉ねぎのよにまだまだ剥くことが出来るところはあるけど、まず一枚、ね…。と一人ほくそ笑んだのでした。
※こんな文よりもっと書くべきことがあるだろうということはわかっています…スイマセン
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